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身の回りにあるあらゆる物に毒を盛られている現代日本人は日々排毒をしていかないとすぐ病気になってしまう。 玄米等の消化に時間のかかる栄養素の高い物や、味噌といった時間を経て環境に順応、醗酵した食べ物、 塩や糖などの自然の結晶体が体のデトックスに良いのは周知の事だが、 では精神ではどうなんだろうか? 芸術や音楽の一見理解しがたいが咀嚼すると味が出てくる栄養価の高いモノ。 これが精神の向上と安定を授けてくれている事は経験則からいっても間違いないだろう。 現代は劣悪なメディアによって情報という毒にも日々侵されている。 精神の健全さを保つために魂を揺さぶるような音楽や文学、芸術に触れ、 健全な方向に進化する人々が生み出す深淵な精神世界を垣間見る事で精神的な排毒が出来る。 現に大自然の中にいる時などは余分な栄養も排毒する必要も無いので音楽や芸術を求めるような欲求もそれほど湧いてこない。 栄養、排毒といった原理は心身共に同じような事が起きている。 そう考えると一見すると古いだけのモノに何故人は惹かれ 時間を経て生き残った骨董品や 結晶のように余計なモノが削ぎ落とされたヴインテージ等が 心を癒してくれる事に納得がいく そう、只納得したかっただけなのだが、、 ▲
by iepe112
| 2017-06-16 00:49
| キヲツケ
人は未だ精神進化の途上だ 恐らく人間の8割は人類の進化の為に日々奮闘しより幸せになろうと活動している が、僅か2割の破壊的要因により人類は何度も過ちを繰り返す。 結論から言えばこれも人間に組み込まれたプログラムの一部。性(さが)であり理である。 個人的な経験測からいっても過ちを犯して初めて次のレベルに至り、成長していくのだから 人類全体で見たとしても入れ子状態、同じ現象を繰り返している。 ここでなぜ圧倒的少数の一部の者に圧倒的多数の人間達が翻弄されてしまうのかを検証してみることにする。 ![]() まず、この世はフルクタル、宇宙から原子まで、ミクロからマクロまで自己相似性と言われる同じ現象の繰り返しだ。 菌の世界を観察していると人間界を遠くから俯瞰しているような感覚を覚えるのはこの為で 遠くから微細な現象を覗くという点では同じだからだ。 体内の細菌類の世界では2:7:1で善玉菌:日和見菌:悪玉菌がいて健康体の状態はこのバランスをキープしている状態だと云われている。 ここで重要なのは善悪とはあくまで人間からの視点で、人間にとって良いものか悪いものかの判断のみということだ。そのものの本質にはあまり関係の無い視点からのカテゴライズに過ぎない。 ただし日和見菌は別だ、書いて名の通り日和見菌はどちらかに極端に寄ることを好まない。 丁度いい感じで安定した方になびくかなりビッチな性質の菌なのだ。 この人間界でも多数を占める日和見達は出来るだけ変化せずに丹丹と過ごすことに従事している、安定をつかさどるもの達だ。ここでは善悪を判断する能力自体はあまり必要とされず、どうやったら安定するかという事にエネルギーを使っている。 と云うことは、、この体内ないしは僕達が日々見ている世界をあっちだこっちだと動かしているのは日和見菌7割を除く、僅か3割のもの達で、もっと言うと1:1の善:悪のコアは消えることがないので その後ろで着いている1割のモノの判断でどちらが優位かが決まり世界はどちらがわにもぐでんとひっくり返る。という事だ 続きは後日、、 ▲
by iepe112
| 2015-06-19 21:21
| キヲツケ
起こる奇跡に身を任す 風任せで出たら芽の旅 生きぬく事が目的で 地図にない道を探し迷子となる けもの道から希望の轍へ 未知はカミへと繋がる 流れ着いた内川深く 繋がる軌跡に磨かれた 青く光る意志 今日のオレとお前の明日 全てが違うが繋がっている ▲
by iepe112
| 2008-08-04 21:15
| キヲツケ
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